Media Representation
大学の授業では、Media Representationというコース名のレクチャーを
media専攻の生徒達と受けている。
新聞やラジオ、TVなどのオールドメディアから始まり、ソーシャルネットワークがどうのように私たちに影響を及ぼすかについて。
そして昨日は面白い一コマがあった。
メンバーの人種はは本当に多岐にわたっていて、イギリス人はもちろん、アジアは日本人(私ともう1人)、中国人数人、アメリカ人、スペイン、イタリア、イギリスーアフリカン人という具合。
その中でいつも遅れてやってくるアフリカ系の女の子がいるのだがその子がとても面白い発言をした。(日本だと遅れるとなんだか罰が悪い気がするしそういうそぶりを見せるがこっちの大学生はバツの悪さなんて噯にも出さない。)
それは授業の中で、社会から期待される役割=(メディアの作りだすこうあるべきという幻想という流れで)ジェンダーの差について話している時のことだ。
男と女の違い、特徴は何か?という教授の問いかけに
その子は(男は)To be selfish と言ったのだ。
クラスが笑いに包まれた。隣に座るアメリカ人の女の子は大きな声でtotally agreeと強く賛成した。そしてその子は続ける。
だってそうでしょう??
女はもっとセルフィッシュにならないといけない。そうすべきでしょう。
その子は半分冗談のような、本気のようなテンションで話していたが私はすごく興奮した。なんの証拠も論理もないのだけれど...。
私はそれを聞いて、男が勝手だと考えられる状況についてあれこれ考えた。
恋愛や家族のあれこれ...。ついこないだに見た映画『ROMA』。
あれは女達の映画でもある。どうしても女は社会的に、そして母親という役割があるが故に厳しい状況に置かれてしまう。
多くのTV、映画において、男が外で女を作り家をでる。
残された女は男の帰りを待ち、ついに帰らぬ時は覚悟を決め1人で子を育てるのだ。そういうTVも映画も多い。それは事実それが起こっているからだ。
個人的にもそれについて考えることは多い。ふむ...。
こういう議論が巻き起こる大学の授業は日本にいて一度もなかったし、
こうやってバックグラウンドの違う生徒と話すのは本当にエキサイティング。
沢山の人種が暮らすということは、ヘイトだったり差別だったり、色々なことが起きることを意味する。色々共存しているからと言って、そこに壁がないわけではない。むしろ目に見える壁から見えにくい壁もそこかしこに存在する。
彼女はその日常を背負って発言しているのだろうと思うし、それがその姿や立ち振る舞いからも現れているから納得してしまう。
例えば彼女は、女性、黒人、という事実に日々向き合って闘っていると思う。
私もこっちに来て女性、アジア人、そして非ネイティブという壁と闘っている。
日本にいたらそんなことは考えもしなかった。マジョリティだし、そして大学まで通えている私は学歴での差別も受けたことはなかった。
なんの不自由もなく、なんの差別もなく暮らしていた。
でも本当にそうだったのだろうか。
ちょうど伊藤詩織さんのBBCのドキュメンタリーを見た所だったが、
それを見て気がついたことがある。(是非見て欲しい。)
http://sharetube.jp/article/8418/
ドキュメンタリーの中で、こういう説明がある。
『日本では、いいか悪いか、好きか嫌いか、そう表明することが"女らしくない"と。小さい時から意見を表明するのがいいことではないと教えられて来ていると思うんですね。』
表明するのがいいことではないと教えられた記憶はないけれど、少なくとも表明せずに生きていける社会であるのは確か。学校では決めなくても、リーダーシップを持つ誰かが決めてくれる。また、曖昧なままを好む文化であるのもそうだと思う。
また、JK、JDなど若ければ若いほど価値があるとする価値観。そして痴漢や女子高生を性的対象にするような性的な考えが、日常的に浸透しているのも確か。
例えば若くなければいけないという価値観も多くの女性を苦しめているだろう。
(女の価値...と調べるとそういう類の質問が沢山ある。)
でもそれを多くの人は女だから"仕方がない"と考えていると思う。
でもこれも、差別が差別として認識されていないだけで、立派に女を貶めているものではないか。
だから、クラスでジェンダーの話になるのはとても先進的なことだし、健康的なことだと思う。日本では議論にも上がらないのだし、ドキュメンタリーにあるようにトップの政府もそれを隠そうとするという....。バカバカしいにもほどがある。そして挙げ句の果てには男の方が迷惑を被っているなんて発言をする議員もいる。(あのLGBT差別発言で物議を醸した杉田水脈議員)よくもそんなことが言えたものだ。
愚痴のようになってしまったけれど、日本の外からみると女性問題やLGBTなどの問題は本当に遅れているとわかる。
理不尽を受ける私たち自身が、ひとりひとり良くないことには声をあげないといけない時代だな と、そして今はその理不尽を変えていける時代でもあるな、とそう思う。