かぞく
ある家族の話。
家族というのは、とても特殊な形態だと感じる。
家族はどんなことがあろうと一生ついて回る唯一の存在であるといってもいい。
なぜだろう。どんなに仲が良かろうと、悪かろうと必ず無視することの出来ない大きな大きな存在である。それは親ー子、子ー親、子―子のどの関係でもそうだ。
そしてそれは心の拠り所にも成り得るし、足枷にも成り得る存在だ。
家族。
最近、世間の人がそれぞれ自分の家族についてどんな風に感じているのかを知りたいと思う。それは、私の家族に対する認識が崩れるようなことがあったからだ。
家族。
血のつながりがあったとしても、人は個人として存在し、人格も全く違う。
進む人生の方向性も違う。それでも一緒にいる。
昔は同じことを一緒に楽しんでいたのに、気が付くと、みんながみんなバラバラの方向を向いてもう戻れないくらいの溝がそれぞれに出来てしまった時。
お互いに抱えるものが大きくて、それをどうしても分け合うことが出来ないと感じる時。お互いに抱えるものを共有しようと歩み寄ることに不安を覚え、躊躇してしまう時。もう、共有しようとも思えない時。
それは、家族といえるのだろうか。
血のつながりはあるが家族として分け合う気持ちがないのは、家族としての機能が欠けてしまったように思える。
少なくとも、助け合うという言葉までいかなくても、小さなことを共有しあってきた存在としての家族を失ってしまった。
核となる両親の歩み寄りは不可能である。
その上で私達子供が(私はもう子供という認識ではいけないが、家族内や両親の子供であるという意味において)出来ることは何か。
しかし何も出来ないという無力感。
歩み寄ることの不可能を知っているし、そしてそれは、今まで子供という一つの足枷から自由になれなかった両親の、個人としてのこれからの新たな幸せを意味するともわかっている。
とても穏やかな形で自然の流れとしてこうなったことにも感謝をするべきだ。
わかっているのだけれど、
しかし、しかし…
という私の違和感を書き留めておきたいと思う。
人間の人生において、すべてにおいて永遠はあり得ない。
その前提を踏まえたうえで、家族を作ることは何を意味するのか。
家族。
大きなテーマだと思う。
今の私にとってはとても危険で、いとおしく、なんとも形容しがたい得体のしれないものになっている。