Momo's dairy

Born 1996. I post works of my daily life.

#それぞれのヘルシー

https://sheishere.jp というウェブマガジンの12月の公募

#それぞれのヘルシー の私なりのヘルシーな生き方について。

 

「それぞれのヘルシー」のコンセプトは...

「それぞれのヘルシー」 コンセプトメッセージ

体が変われば、心も変わる。
一刻一刻と変化するなまものである人間にとって、
「健康」であることはどういうことなのでしょう。

バイオリズム、もって生まれた魂と体の個性、年齢、生きてる社会や環境。
どれもゆらぐ可能性を秘めているから、
いつも100%元気でいることはけっこうむずかしい。
そして、そうじゃなくってもいいのだと思います。

自分が大丈夫じゃなくなってしまうときの考え方のクセを知ること、
心地よい状態がなにかを考えること、時間をつくっていたわること。
ご自愛くださいねと誰かにメールするのと同じぐらい、ちゃんと自愛していく。
やさしさやあたたかさは血液のようにめぐっていく。

心も体もできるだけ脅かされず、大丈夫な日を増やす。
今日も、穏やかに望むように過ごせますように。

( https://sheishere.jp/news/healthy-voice/ より引用。)

 

ここから、わたしの書いた文章になります。少し長く、少しだけ驚くかも...。?

多くの人に話したことのないことも書いています。

 

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大好きな眺め。ドイツの美術館の大きな庭です。

 

『【わたしがわたしにしてあげられること】

 

心も体も「健康」でいるために欠かせないこと。

わたしが思うそれは、自分自身を認めてあげるということ。

 

物心ついた時から どうしてだろう?

ずっとずっと、今の自分じゃダメだからもっともっと頑張って憧れのあの子みたいにならなくちゃ、と私は思い続けてきたように思う。

そして中学生の時にたまたま映画館で観た『悪人』(2010,李相日監督)をきっかけに女優を志した私が、犯した間違い。

 

それは、極端な食事制限。どうしても女優になりたいけれど、どうしたらいいかわからない。そんな私がまず一歩進むためにどうしたらいいかな?と考えた結果だった。

高校1年生の多感な時期にも相まって、インターネットから得た情報を基に炭水化物を一切摂らない生活を始めた。私は一度決めたらそれに向かってまっしぐらになる性格だから、食事制限や朝の1時間のウォーキングをひたすら続け、半年で体重を7kgほど落とした。身体は見るからに骨ばって、体育座りをするとお尻が痛くなった。風邪を引きやすくなり、身体が弱っているのを感じても気がつかないふりをしていた。

でもそれからすぐに、生理も来なくなってしまった。

 

家族に心配されても友達に心配されても、細くなった自分を以前よりもずっと可愛いと思ったし、その頃の私には身体のことよりも短いスカートから覗く自分の脚が綺麗に見えることの方が、ずっと大事だった。

 

その後の顛末を短く記すとすると、私は生理が来ない事による症状が身体に出始めてからやっと、ことの重大さに気が付いた。そこから母が見つけてくれた漢方を試しながら病院に通い始め、そこで検査をし、薬を飲み...。病院も一つではなく転々とした。そしてようやく大学3年生の冬ごろから生理が順調にやってくるようになった。つまり元に戻るまで約5年かかったことになる。

 

今だからわかること。

私が極端なダイエットをした理由は女優になりたいという思いだけではなく、その裏には大きな自己否定があった。もともとふっくらした頬も、低い鼻も、出っ歯だったことも、そして顔にある小さなソバカスさえも、それがなかったらどんなに良かっただろうと毎日思っていた。今の自分ではみんなに認めてもらえないと思っていたし、自分以外の誰かになれたら良いのにと思っていた。

何者かにならなければ、私自身の価値なんてない と。

 

「健康」に生きること。それはひとりひとり違う人間であることを前提に、どんな自分も認めてあげること。そして自分自身と向き合い、自分の心や体の状態を船の舵を切るようにコントロールすること。ときに勢いよく、ときにゆっくりと。

 

日本を出、現在ロンドンで留学中の私は、今までと180度違う環境にひっくり返りそうになりながらもなんとか毎日船を漕いでいる。ここでは自分という軸がしっかりしていないと、とてもじゃないが胸を張って生きられない。慣れない言語環境に加えて、日本にいては意識することのなかった人種という意識や、日本人であるという事実や、様々なことが降りかかってくる。でも同時にどうしたって私は私以外になることはないし、それで良いのだ、それが良いのだと、そう思うことができている自分もいる。

 

窓を開ければいつでも誰かの声や音楽が聴こえてくる騒がしい場所にある寮の一室で、好きな音楽をかけコーヒーを飲みながら宿題をしたり、絵を書いたり文章を書いたりする。部屋には自分で描いた絵を飾り、浮かんだ言葉を付箋にメモし壁に貼る。最近は旅行で出会った大好きな風景や建物、作品を現像しこれもまた壁に貼る。そんな風に自分の好きを散りばめた部屋で生活することは今の私にとってすごく大事なことだ。

 

一秒一秒動いている世界の中で、揺らいでしまうのは当たり前のこと。

揺らいでしまう自分も好きでいてあげよう。自分を好きになれない自分、も、いまはそれでも良いと認めてあげよう。自分を、自分が一番大切に思うこと。

そこからきっと、心身ともに健やかな生活がスタートするんじゃないかな。

 

自分自身を認めてあげるということ。これは高校1年生の私にとっても、

そして今の私にとってもすごくすごく難しいこと。

どうしても他人と、そして自分の理想と比べてしまうわたし。

 

情報に溢れている今、沢山のウエブサイトで尊敬する人のインタビューを読む。

instagramで、twitterで、FBで、キラキラとしたみんなの"いま"を浴びるように読む、見る。そして自分にない何かを見つけては落ち込んでしまう。本当は落ち込む必要なんて微塵もないとわかっていても。

 

そんな自分をコントロールすることはとても大変だ。

でも落ち込んでいる自分も、何をしている自分も全部あり!OK!

 

そう思ったら、少しだけ楽になる気がする。