Momo's dairy

Born 1996. I post works of my daily life.

人生の のこす という意識の移り変わり。

わたしは時々、自分の年齢の若さを忘れていることがある。

自分よりも年齢の高い人と関わることの方が多かった今までなので

年齢にしてはなんだか老いている気がする。(見た目とは反対です...)

 

ロンドンでは大学の時間が濃く、同年代の子や少し下の子たちと接するがその若さに毎度衝撃を受けている。(パーティ、パーティ、パーティなど笑)

でも衝撃を受けた自分を受けてふと考えてみたら、わたしだってほぼ同い年じゃないか。とさらに衝撃を受けてひとりツッコミをする始末。

わたしだってまだ若い、大丈夫、大丈夫。 と、

何を言ってるんだか自分でもわからなくなるが自分を鼓舞している。

大丈夫。できる。パーティで楽しめる。(年齢関係ないか。)

 

そして今日は若さからは程遠い人生においての時期、

のこす ということについて少し書きたい。

 

それは、ニューヨークに行った時のこと。

わたしはNYで3人のアーティストたちが集まる家に1週間居候させてもらった。50歳に近い日本人のアーティストが1人、それに40代の女性のアメリカ人、メキシコ人である。

 

 

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NYにて。


 

その人たちと話をしていて、教わったことがある。

 

だいたい45歳を過ぎてから、

人生においてこれから何をのこすことができるか?と考え始めるようになるという。

 

それまではやりたいこと、実現したいことに向かって迷いながらもひたすら進む時期だったけれども、45を過ぎるとふと残りの人生について考え始める と。それは自分の両親の衰えや、そして自分自身の体力の衰えなどきっかけは様々にある。

確かに、90歳まで生きるとしても45歳はその半分。

体力は落ちていくから、これまでと同じ要領では物事を進めていけなくなるかもしれない。とにかく45歳を過ぎて、進むというよりはこれから何を残せるだろう?という思いに変わってきたとその人は言っていた。

 

そのことはわたしにとって大きな示唆だった。

もちろん十人十色の生き方がある。それは痛いほどロンドンで学んだことの一つ。

だから必ずしもみんなが45歳になって変わるのではないけれども、早かれ遅かれ人生においてそのような時がくるのは確かなことであると思う。

 

そういえば NYのグッゲンハイム美術館で見たクリントという女性のアーティストも

彼女の母親との死別をきっかけにし、より"independent"な絵を描くようにになったという。("independent"の良い訳し方がわからないのでそのままにします。)

それは彼女の中での大きな変化であり、死を経験し意識したことで のこす という時期に移り変わったということだろう。

 

何をのこすか と自分が思う時まで、

わたしはどれだけ人生を楽しみ自分の中での大切な何かを成し遂げることができるだろうか。

 

人生を長く生きている人と話すのが本当に好きだ。

生きることについて知りたい。人間について知りたい。

 

一人一人が経験に基づいた哲学を持っているものだ。それを知るのは本当に楽しい。

 

そして のこす ということ。

それは不思議に切なく ノスタルジーな雰囲気を纏っていて、

わたしにはとても魅力的に映る。

 

ちなみに、ロンドンでのバイト先の日本料理屋の70歳のおじいちゃんに言われた

『22歳なんてまだ赤ちゃんだよ』も忘れられない。

 

50年も長く生きる人に言われたらそりゃあ何も言い返せないよね。

 

そう、のこす ことはわたしにとってはまだまだ先のこと。

 

精進致します。

 

 

ファームステイ/農家体験/wwoof in Italy

休みの間の2週間、イタリアでの体験について書きます。

 

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滞在中に書いた絵。美しい自然に囲まれて...

 

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オリーブ農家のパンフレット


わたしが参加をしたのは一般的にファームステイと呼ばれるもの。

その中の、WWOOF ウーフ という活動を利用してファームステイをしました。

ファームステイは、農場を手伝う代わりにそこで生活を経験をすることが出来ます。

なので基本的に生活費はタダで、かかるのは農場に行くまでの交通費のみです。

 

WWOOFとは

World Wide Opportunities on Organic Farms「世界に広がる有機農場での機会」の頭文字です。
WWOOFは、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とを繋いでいます。
WWOOF ジャパン - WWOOFについて より引用)

 

WWOOFはもともと70年代にイギリスで始まり、オーストラリア、ニュージーランドと広がって行きました。現在は世界の60ヶ国以上で行われているようです。日本でも94年からこの活動がスタートしています。

 WWOOFは登録(登録費用が必要)をすることで参加することができる仕組みになっていて、1年間毎の更新です。日本円で約3500円ほどだったと思います。

わたしは友人に教えてもらってWWOOFを知り、いつかやりたいなあと思っていたので念願のWWOOF体験でした。わたしは2週間の滞在でしたが、それは短い方で 基本的に2ヶ月、3ヶ月と滞在する人の方が多いと思います。

イタリアに決めたのは直感です。

冬だから暖かいところがいいなと思って暖かそうな場所を選びました。

 

具体的には何をするの?と思う人に。

仕事内容は行く場所と時期によるのでなんとも言えないところがあります。

わたしはオリーブ農家に行きましたが、冬でオリーブに関する仕事は何もありませんでした。なので雑用を何でもやったという感じです。

家の掃除、アイロン掛け、料理、雑草を抜くこと、木を切る、燃やす、などなど。

仕事も大事ですが、一番大きなポイントはやっぱりホストとの関係性。

でもホストも私たちウーファーも(ウーフをする人のこと)お互いを会うまで知ることが出来ません。だから会うまで本当にドキドキ。

長く滞在するにおいて、わたしは人との交流が一番重要だとおもうし今回それを実感しました。人間関係によって体験の感じ方に大きく差が出てくるなあと思います。

調べてみると、ホストが厳しかったり仲良くしてくれなかったりと対応が悪く、すごく嫌な思いをしたと書いている人もいるし、反対に最高だったと書いている人まで様々。

わたしのホストはドイツ人の夫婦で、10点満点中7点といったところかな。概ね満足です。不満はほぼありません。ただ、あとの3点はより深いところまで仲良くなれたらよかったなあという自分の反省も含めています。

やっぱり文化の違いで戸惑うことも多かったのです。

わたし側の伝える力もより必要だと思うし、それに対して相手ももっと心を開いてくれたら嬉しかったなあという感じです。

 

じゃあ最高なホストを見つける為に、どうしたらいいんだろう?

わたしはメールでの対応を見て決めました。そこ以外に相手をしる方法はありません。

わたしのホストは、最初に行ってもいいですか?というメールをした時に1日前後で返事が来て、そのあとのやり取りもスムーズだったことが決め手です。質問もちゃんと答えてくれたし、最終的にはトラブルがありオンラインで買えなかったバスのチケットまで用意をしてくれました。

メールの返事がスムーズかどうか?

そしていくつかの農家をやり取りをしているとその対応から

しっかり面倒を見る気があるのか?

それともただ人手が欲しいだけなのか?それがだいたいわかると思います。

なのでそこを見極めるのが行く前のポイントではないかと思います。

 

そして最後に。

ここのオリーブオイルがすごくすごく美味しかったのでぜひとも載せたいです。

(⚠︎ドイツ語...)

全世界発送可能だそうで、わたしは日本に帰ってから買おうと思っています。

こんなに美味しいオリーブオイルは初めてでした。

他にドライトマトのペーストも美味しくて、作り方を教わったのでそれを作るのも楽しみ...💌

そうそう、ここは夏にバカンスを過ごすのにぴったりの場所で、夏にはbnbもやっています。bnbは設備もいいし綺麗なのでオススメです。

 

 

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Peschici

 

www.olionostro.de

 

www.facebook.com

 

こういう、ナチュラルで美味しいものに出会えるのも大きな魅力かなと。

わたしは食べることが大好きだし、そういう食いしん坊の人にもすごくお勧めです。

 

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レシピをつかうのではなく、あるもので工夫して。ココナッツカレー。

 

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パンナコッタ

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 わたしもまた、新しい場所でwwoofをやりたいな と計画中...

 

 

どこに行ってもそれだけで何かが変わる訳ではない ということ。

世界のどこへ行っても

それだけで何かは変わらない。

 

ロンドンにもニューヨークにもイタリアにも

わたしはきっと何かを期待していた。

 

何かと出会えるんじゃないか。

自分の中の新しい何かを見いだせるんじゃないか。

 

でも違うんだなあ。本当は何も変わらない。

 

そうではなくて自分の気持ちをしっかり持って進むこと。

どう生きるか 何が好きか 嫌いか。

それが出来たら、どこにいても'自由'だし どうにでも変えていける。

 

そう実感できたことがすごく大きくって 私はそれが知りたかったのかな、

ずっとなんとなく閉塞してて日本から 逃げるように留学にやってきた。

 

でも日本から逃げてたんじゃなくてそんな自分から逃げていただけ。

場所を変えたらどうにかなると思ってた。

 

 今もまだそんな自分と格闘中。

見えない

見えない

見えない

 

実は

見たくない現実から目をそらしているだけかも。

見えないと思っているだけかも。

 

あーわかんないなあ。

 

でも誰かが何かしてくれるわけじゃない。

 

 

 

 

 

さみしさと日本

留学4ヶ月目が始まっている。

 

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4ヶ月めにして いま自分の中で寂しさを感じ始めている。

少し前までは、旅からロンドンへ帰ってくる度に増すロンドンへの愛を感じていた。

ロンドンが好きで、ヨーロッパというこの環境は素晴らしい、難しい問題は置いておいてここで暮らすのもあっているのではないか と思ってるなんてことも、家族への手紙に書いているくらいだった。

そしてそこまで寂しいと感じない自分も どうかしているのかも

感覚がおかしいのかな と少し心配だった。

 

しかし4ヶ月目、ここにきて感じ方が変わってきたことを感じている。

それは新学期を目前にして緊張しているのもある。いろいろな要因はあるけれどそれだけではない。

これまでは御上りさんのようにいわば見るもの全てに感動し、日本と比べ、歴史のあるもの、そして進んでいる環境に感嘆していた。そして少しだけ日本を恥じていた。(この自分の国を恥じるという感覚は恐らく日本人に多く見られることで他の国では見られない感覚だよね ということについてもまた今度書きたい。)

でも今は日本でできること。日本でしか見れない光景や雰囲気をすごく懐かしいと思うし、その中に帰りたいなあと思う瞬間が増えた。

 

その理由は、ひとつめ。

日本以外の国への漠然とした憧れが自分の中で消えたこと。

多くの国を訪ねて環境や文化を見て、そしてその国の生活に触れたこと。

人、場所、文化、食べ物、生活。これまでの旅では、イギリス国内、ドイツ、フランス、ニューヨーク、イタリアと、できるだけ長く期間をもち、そしてそこで暮らす人と一緒に生活をともにした。ご飯も外食ではなくスーパーに行き料理を作って食べた。

外に出たことのない私にとって、イタリアなんていえば石造りの宮殿がどーーーん!!美しい、ピザ、パスタ!楽しい陽気な人たち!というイメージしかないものだ。

しかし生活をするとどこの国もまあ大差がないということに気がついてしまった。

 

そこから、ふたつめ。

じゃあなにが違うのか。

これは結局...となってしまうけれど、どこに行っても自分以外の何者でもない という事実。本当にそう。だから究極(経済とか政治とかおいておくと)世界のどこにいても関係がない。

 

そのことに気がついてから日本への寂しさを自分の中で認め、そして感じるようになったのだと思う。

 

この話を海外に長く住む知人としていて、まさにそれが外を見る良さだよね。と。

 

海外から帰ってきた人たちが、日本をよりよくしていこうと思いたくなる理由がわかった。外に出ることで紛れもなく日本人であることを実感し、そしてそれは切っても切れないものであるからこそ、自分のルーツである国を良くしたい そう思うのだと思う。

 

じゃあ わたしは何するの??

 

それは、

まだ、、、。

 

闇の中で彷徨っています。

 

(笑)

 

笑えない大事な問題です。

 

 

 

 

言葉とそれだけではない私自身と相手との壁

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日暮れ前 最後の日。


2週間のイタリアでの日々を終え、ロンドンに戻ってきた。

夜なのか、朝なのか、その間の時間なのか、真夜中のように真っ暗の朝の4時にPeschiciを出発し約7時間バスに揺られてFuimicino空港へ。

そして空港でもフライトを待つこと6時間。

さらにスペインの(Vueling Airlines)ブエリング航空を利用したところなんと遅延することが多々あるらしい。例に漏れず私の便も約1時間の遅延。

機内の電気が消えたりついたりしたり外のエンジンの音もガタガタうるさくて、まだそこまでヨーロッパのLCCを利用したことがないからこれが正常なのか異常なのかわからず不安が募った。

もしかして離陸した途端に飛行機が破裂したりして とか

操縦士がこの便で自殺をしようとしているのか とか

滑走路をそのまま突き破って事故になるんじゃないか とか

頭の中で色々考えてはひとりでソワソワしていた。

そうそう。機内の温度調節も良くなくて 熱くなったり寒くなったり。みんな冬だから厚手の上着を着ていて、その上着をみんなが脱いだり着たり。隣の隣に座った女性がとても綺麗でその女性がニットをサラッと脱いだのにドキドキしてしまった。

こっちに着てから女性にドキッとするほうが多いかも。笑 

 

イタリアでは大好きな自然や動物、美味しい果物や野菜に囲まれた生活。

そしてその上で、大きいのはにんげん。人との関わり。

その関わりを振り返ろう。なぜなら、その関わりの中で小さな衝突が沢山あったから。

もっとこうしていれば、ああしていれば という後悔は尽きないけれど今回学んだことをこれからやっていこう 私。

 

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一番大きなこと、それは自分の感じることを伝えること。一つ一つ反応していくこと。

好きなのか 嫌いなのか まあまあなのか 大好きなのか 大嫌いなのか 嬉しいのか 楽しいのか 悲しいのか 怒ってるのか 悩んでるのか。

ほんっっっっっとうにこれ、むずかしいことを実感した。

言語の壁もさることながら 私個人がこのことから逃げてきたからもう、目も当てられないという感じ。

一緒に過ごしたサラには、あなたの気持ちがわからなくて困ったことがあったとお互いの手紙交換で告白をされた。

(本当は常に困っていたというくらいのレベルだと思う...。)

サラはなんでも彼女自身の気持ちで決められる人。

だから彼女の選択全てに彼女の欠片が感じられて、終始一貫していた。どんな仕事が好きか(家の中での仕事よりも木を投げたり焼いたりする外の仕事が好き)どんな食べ物が好きか。(彼女は食べることが大好き。そしてビーガンでおかし作りが得意。)

(私だったら絶対選ばないというような柄×柄×柄...の組み合わせも彼女なら彼女らしくていいと思った。)

一方で私はある程度なんでも許容してしまうところがある。

それはこう育ってしまったのかそれともこういう性格なのかわからないけれど。

だから別に、本当にどちらでも良くって、どんな仕事が好きか(家の仕事もやれと言われたらやるしでも外の仕事も好き。)どんな食べ物が好きか(基本的になんでも食べるし、食べろと言われたら食べてしまう。そして残っていると使命感に駆られて食べてしまうのでそんなに食べるの?!と驚かれる。でも本当はお腹がいっぱい)

いちいち聞かれても、返答に困ってしまった。なんでもいいのだけどなあ。。

とか考えてしまった。人に合わせるのが普通で、考える頭になっていないのかもしれない。

 

そして私は私で、サラに対して終始困惑していたと思う。

彼女は平気で私のところに(気持ちも、物理的にも)ズカズカくるものだから、それにどう対応していいのかわからなかった。そういう経験がないから時間が必要だった。私はひとりでいる時間に一番安らぎを感じるのだけれど、風邪をひいて弱っているときに私の部屋で寝てもいいよ と言われた時は困った。彼女にとってはひとりでいることが一番精神衛生上よくないことだとしても、私にとっては違う。私を好いてくれていつも部屋に訪ねてくる猫さえも、いると気にしてしまうから本当に疲れた時は居ないでほしい、というくらい。

 

そして受け入れてくれた2人には 私の勇気が足りなくて感謝以外の直接思ったことを伝えられずメールで伝えたところ、返信のメールにはIt sounds interesting...なんて書いてあって 悲しくなった。つまり私の気持ちは全然伝わっていなかったんだなあ。私の態度や行動で伝わっていると思っていたんだけどなあ。つまり、ちゃんと言わないと それはなかったことと同じなんだな。

それじゃあイタリアにいた私は、2人にはどう映っていたのかしら。

 

 

人の振り見て我が振り直せ

 

 

一緒に過ごした人たちの人柄や行動、言葉のかけ方から学べることが沢山。

 

例えば私だったら...祖父母と孫というくらい歳の離れた若い人にもう少し声を沢山かける。そして愛をあげるだろうな。愛のあげかたには色々ある。

 

この2週間で色々あったけれど愛をくれたのはサラ。

いつも気にしてくれたし 辛いときにはハグをしてくれた。面白いことに、自分を大切に思ってくれるかそうでないかって人って敏感に感じているものだ。

 

いつかまた、ここに行きたいと思うのかな。

わからない。

 

でも来てよかったとは心から思う。

きっと 私がもう少し言葉にしていたらもう少し違ったのかも。

 

そして滞在したオリーブ農家はHPもありbnbもやっているのでせっかくなので今度また

紹介しようかな。

 

夏には最高のバカンスができるのは間違いなしで、そしてオリーブオイルも今までのオリーブオイルの中で一番美味しかった。2人は一生懸命作っているから2人の為に少しでも何かできたらいい。

 

 

でんわ

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部屋からの眺め。


つくづく便利な世の中だと思う。

私はヨーロッパ、イギリスから日本との距離は約9195km、

飛行機を使って約13時間ほどの場所にいる。

 

でも毎日テキストを送れるし、電話だってできる。

テレビ電話をすればリアルタイムの相手を見ることすらできる。

(テレビ電話はあまり好きではないのでしないのだけれど...ちょっと恥ずかしい)

でも電話をしたら相手の息遣いさえ感じられて まるで隣にいて話をしているみたいだ。

実際には遠くて、だからこその切なさみたいのもあるけれど。

 

そして私はこれらのツールに大いに助けられている。

もしなかったら なんて想像も出来ないことだ。

 

ヨーロッパの多くの人は電話を好み、

いつでもどこでも電話をしている。みんな話すことが好きだ。

イギリスの地下鉄は電波が届かないので出来ないけれど、道で、バスで、そこら中でみんなが電話をしている。

しかも今はワイヤレスの人も多いから、誰もいない空間に向かって笑ったりシャウトしたりしているからちょっと面白い。

加えて言えば声も大きい。公共の場だろうと気にせず

(公共の場=静かにするという概念がないと思う。)大声で話している。

でもそれもこれも文化や環境、場所の違いである。

 

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化と言われるが、

電話を多くするのも話すことが大事なことだからだと思う。

 

という話は置いていて、私にとって電話は特別な感じがある。

電話は日常的にするものではなくて、大事なときにするもの。

大事な電話は、ひとりで部屋にこもって布団にくるまりながらコーヒーかお茶を片手にしたいのだ。

表情や声のトーンも誰にも見られたくない。

ちょっと秘密の、くすぐったい時間が私にとっての電話だ。

 

こういうの、英語で説明するのが本当に難しいんだよね。

 

 

ひとのやさしさ

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相思相愛のネコ

 

Peschiciでの1日の生活の流れは、

8時   支度を済ませてお仕事スタート(2hお仕事)

10時 朝ごはん(2.5hお仕事)

14時 ランチタイム

15時 シエスタ(お昼寝、フリータイム)

19時 軽めのディナー

 

仕事の内容はは冬なので目立ったことはなく、

家の掃除から雑草を抜くこと、枝を燃やすこと、オレンジをもぐことから様々。

 

ヨーロッパは暗くなるのが早いので、それに併せた生活。

17時になるともう外は真っ暗で 1日が終わったように感じる。

 

滞在して約10日、思いの外自分でも気を張っていたようで、

疲れてしまい今日は外に出ることが出来ずに部屋で1日中静養していた。

 

サラちゃんが上の時間にあわせて顔を見せにきてくれて、

オレンジを持ってきてくれたり湯たんぽを持ってきてくれたり

具合はどう?と声を掛けてくれる。

 

書いていると大したことのないように感じてしまうけれど、

体調が悪いと伝えてすぐに私の部屋まで来てくれて、話をしてくれて、

私にとってはひっくり返るように驚く出来事だった。

こんな風に心配されたことってきっとなかった。

出会ってすぐの私をすごく心配してくれて時間を割いて労ってくれるなんて。

これはロンドンに着いてすぐ、同じ寮のフラットメイトの香港の女の子とのやり取りでも感じたことなのだけれど、私だったら同じように人に優しくできるだろうか??

 

私はどうしても、自分の安心のために人と距離を取っておきたいと考えてしまうのもあり、おそらく友達が寝ていたらそっとしてあげよう と思い訪ねることもしないし、

声をかけることもしないと思う。今までの私だったら。

 

自分の部屋は完璧にパーソナルスペースだし、私だけの部屋にしておきたい。

友人であっても他人の部屋にノックしに行き時間を過ごすってことは苦手。

だから安易に人を訪ねたりできないし、迷惑かなとか色々な考えが邪魔をして何もしないことも多い。

 

でも2人はそういう概念を軽々と超え、私に触れてくる。

そしてそれが思ったよりも嬉しくて心地いいのだ。

 

わからないけれど、人はしてもらったことは人にできるものだ。

この2人も きっと誰かに優しくしてもらったことがあるのだと思う。

 

今日からの私はもらったやさしさを誰かに渡すことができると思う。

 

やさしさは巡ってゆく。

 

こんなことを、前にも書いたような気がするけれど...

まあ、いっか。