生きてるよ。
前回の更新からもう1ヶ月以上が経ってしまいました。
早いなあ。。。。。
この間にあった出来事を書きます。
シチリアでの5日間。サラに会いに行ったよ。
(サラには、イタリアのファームステイで会いました。)
シチリア、ここには書けないことなど沢山ありました。
サラと居るといつも新しい経験をする。そして落ち込むの。
サラは私と居るときだけ、人生がCrazyなんだって。(笑)
私はサラのCrazyな期間に居合わせるらしい。だからいつも混沌なのか?(笑)
いつもじゃないの?I feel you are always crazy. haha
そのあと日本から卒業旅行でお友達が会いに来てくれた。
中学からの4人組だよ。MTR2☺️
楽しかった。そして私たちも大人になったねえ。
気が付いたんだけど中学まで私はすごくおちゃらけててみんなを笑わせてたんだけど、私はそれからちょっとシリアスになっちゃったみたい。
いろんなこと知って、経験して。昔と一緒ではないから
これからは変わっていく関係を楽しめるようになりたいと思った。
みんなと会ったのはそんな前のことじゃないのに、すっっっごく前のことみたい!
同時に大学はエッセイや映像の課題やらで忙しく、いまにも死んでしまいそう。
授業ではドキュメンタリー作る予定なので
忙しそうですが自分で選んだからちゃんとやる。エッセイもちゃんと書く。
それから6月からのインターン探しにも奮闘中。
映像会社で探してて、決まらないのが相当ストレスフル。
Cover LetterやCVを送りまくる日々。
先輩は会社に直接突撃しなよ?だって。
ムムム....やるかあ涙 旅の恥はかき捨て かな?
あとは将来。数日前に友人たちが卒業しました。おめでとう。
それに伴い私も将来どうするって考えることが増えた!
もうオープンにした方がやりやすいかもだからここにも書こうかな。
(こういうところ私変わったなあと思う。以前だったら誰にも言わないとかあり得る。)
帰ったら声優の仕事を副業で続けられる会社に入りたいと思っています。
なのでフルフレックス制かな?そこらへん自由なところに入りたいです。
(今少しだけ調べ始めています。)そして働きながら今後のために色々スクールやら何やら通ったりしたい。声優をやって、勉強し続けながら働いて、で、お金貯めて院に行きたいです。うん。若いし全部できるでしょう!
ここまでざっと最近の出来事です。
そして精神面はというと...
結構情緒不安定。(笑)
よく泣いたりする。
映画観てもすぐに泣くようになった。
感じることに敏感になっていると思う。
でもそれは良いことだと思っています。感性が健全になったというか。
究極赤ちゃんはよく泣くものね。
あと日々、こう、なんていうのかな?
みためキツめになって居る気がする。目線とかね。それは環境に合わせてだから仕方ないけどね。
そしてやってみたいことがどんどん増えて絞らないと人生のうちにやり切れなさそう。
コンテンポラリーダンスでしょ、
陶芸でしょ、
映像製作でしょ、
あとはいま映画のレビュー書いてるのも続けたいでしょ。
本ももっと読みたいし。勉強ももっとちゃんとしたい。
絵も描いているし...。
まあ、全部やろうぜ、自分。
そんな感じです。
今回の更新は自分のための記録と鼓舞するのが目的になってしまいました。
最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。
時間と気持ちの余裕ができたら丁寧に綴りたいことは沢山あります。
またぜひ読んでください。
暖かくなってきた!!
ロンドンの天気がだんだんと良くなってきました。
外のベンチで勉強。集中できる。
今は金曜日の夕方。
これから課題をやり、おやすみなさいをします。
週末は土曜日は初めて会う女の子と日曜日は仲良しのお友達と
公園で太陽を浴びる予定。
楽しみだなあ。
これから忙しくなる前のゆっくりした時間かなあ。
昨年末のエッセイの時に様に、ヒイヒイいう私が思い浮かびます。
エッセイに加えて絵と、映像作品を4月までに作り上げねばならないものだから体調だけは気をつけて頑張ります。そうだ、3月からはボイスレッスンも受けるんだった。ひい。
そして来週末はシチリアに行くんだった!
イタリアのファームで出会ったサラに会いに行く。
サラは今道でナンパされた男の子とラブラブで毎日一緒にいるらしい。笑
そういうのもこっちならではだよねえ。自由なの。
それでは、今日はここら辺で。
たくさんの人に支えられながら元気に生きています😊
変わる。
私は寂しがり屋になったと思う。
どうしてかなあ。
なったんじゃなくて
寂しさにずっと蓋をしていたのか、
それとも本当に寂しがり屋になったのか。
人は恐れる。
孤独と痛みと時間と情熱と
何かを手に入れそして失うこと。
これから
すごく複雑な思いがしている。将来のこと。
この先まず日本に帰る。(9月までには)
そして残り半年の大学生活と卒論を終え、卒業。
で、生きるために職を探す。
そして多分、私はまた海外に行くような気がしている。
大学院かなあ。院生になって戻ってきたい。
もちろん日本人だから日本の居心地が最高に決まっている。
でも...
ロンドンで活動するアーティストの猪瀬直哉さんのインタビューを読んで
本当にそうなんだよなあと頷いてしまう、このような気持ち。
『あとは、日本が素晴らしすぎて、逆に危機感を覚えたというのもあります。自分がマジョリティであるという感覚を持つと、クリエイティビティが発揮できないという感覚があって。英国にいると、自分は人として認知されていないという、違和感のようなものを常に感じられるんです。そこから制作意欲が湧くんですよね。』
私はアーティストではないけれど、絵を描くのが好きだし、文章を書くのも好き。
何かを作ることが好きだ。
ロンドンは、芸術活動にすごく寛容だと思うしその土壌があると思う。
少し行き詰まって外に出たら美術館、映画館、公園...
それに何よりも沢山の人がいて刺激をもらえる。
そして猪瀬さんが言っているように、人として認知されない瞬間が悲しいけど多々ある。笑 まるで私がいないような。本当に見えていないのかもしれない。多分見ようとしていない。あるいは道のゴミのような。笑
書いていて辛くなるけれどそういう理不尽がある。
でもそれは間違いなく意欲に変わるし、
そして代わりに受ける小さな親切に心から幸せを感じる。
そんな酷い場所のどこがいいんだと思うかもしれないけれど、
私はこの環境が好きだし傷つくこともあるけど日々生き抜いているという感覚かな。
それが感じられていいなと思う。
(まだ半年だからだとは思うけれども。)
一生住むとは思わない。
でも多分、私また日本を出るんだろうな。
Love.
小さな新しいことに毎日挑戦していて、私自身がすごく変化していると感じる。
例えば1人で帰らないで隣に座った女の子に声をかけて一緒に帰るとか、
そうそう、何度目かのクラブ!想像と同じにカオスで、でも思ってた以上に楽しめてすごく好きになったりとか。びっくり。好きな人たちと行ったらなんでも楽しめるし、なんならあそこはただ飲んではしゃいで、楽しんだもの勝ちだね。
クラスで発言してみるとか。(これは本当に息が止まりそうになる。)
毎日が楽しくて大変だと、どうしても生活に気を向けがちだ。
書くこと含めて表現には、もやもや や問題提起、違和感はとても大事だな と思う。
最近はtoo muchなことも含めてだけど色々な人に愛されて暮らしているなあと実感する。ロンドンに帰って来てからもテキストや電話をするサラは、You know, everyone love you. と、友達作りに悩む私にいつも言ってくれる。
そうなのだ。そうやって言ってくれる人がいるだけで、
みんな私を好きでいてくれる!と信じられるし頑張れる。
でも最近は、慣れて来たのもあるのかな?みんなが好きでいてくれてるんだなあと日常で沢山実感するから本当に嬉しい。
それは私もみんなを大好きで、それが伝わっているからなのかな。
日本も恋しいけど それと同時に、既に帰るのが寂しいな。
周りにいてくれる人や縁が会って出会った人を大切に。
どこでも変わらないこと。
Media Representation
大学の授業では、Media Representationというコース名のレクチャーを
media専攻の生徒達と受けている。
新聞やラジオ、TVなどのオールドメディアから始まり、ソーシャルネットワークがどうのように私たちに影響を及ぼすかについて。
そして昨日は面白い一コマがあった。
メンバーの人種はは本当に多岐にわたっていて、イギリス人はもちろん、アジアは日本人(私ともう1人)、中国人数人、アメリカ人、スペイン、イタリア、イギリスーアフリカン人という具合。
その中でいつも遅れてやってくるアフリカ系の女の子がいるのだがその子がとても面白い発言をした。(日本だと遅れるとなんだか罰が悪い気がするしそういうそぶりを見せるがこっちの大学生はバツの悪さなんて噯にも出さない。)
それは授業の中で、社会から期待される役割=(メディアの作りだすこうあるべきという幻想という流れで)ジェンダーの差について話している時のことだ。
男と女の違い、特徴は何か?という教授の問いかけに
その子は(男は)To be selfish と言ったのだ。
クラスが笑いに包まれた。隣に座るアメリカ人の女の子は大きな声でtotally agreeと強く賛成した。そしてその子は続ける。
だってそうでしょう??
女はもっとセルフィッシュにならないといけない。そうすべきでしょう。
その子は半分冗談のような、本気のようなテンションで話していたが私はすごく興奮した。なんの証拠も論理もないのだけれど...。
私はそれを聞いて、男が勝手だと考えられる状況についてあれこれ考えた。
恋愛や家族のあれこれ...。ついこないだに見た映画『ROMA』。
あれは女達の映画でもある。どうしても女は社会的に、そして母親という役割があるが故に厳しい状況に置かれてしまう。
多くのTV、映画において、男が外で女を作り家をでる。
残された女は男の帰りを待ち、ついに帰らぬ時は覚悟を決め1人で子を育てるのだ。そういうTVも映画も多い。それは事実それが起こっているからだ。
個人的にもそれについて考えることは多い。ふむ...。
こういう議論が巻き起こる大学の授業は日本にいて一度もなかったし、
こうやってバックグラウンドの違う生徒と話すのは本当にエキサイティング。
沢山の人種が暮らすということは、ヘイトだったり差別だったり、色々なことが起きることを意味する。色々共存しているからと言って、そこに壁がないわけではない。むしろ目に見える壁から見えにくい壁もそこかしこに存在する。
彼女はその日常を背負って発言しているのだろうと思うし、それがその姿や立ち振る舞いからも現れているから納得してしまう。
例えば彼女は、女性、黒人、という事実に日々向き合って闘っていると思う。
私もこっちに来て女性、アジア人、そして非ネイティブという壁と闘っている。
日本にいたらそんなことは考えもしなかった。マジョリティだし、そして大学まで通えている私は学歴での差別も受けたことはなかった。
なんの不自由もなく、なんの差別もなく暮らしていた。
でも本当にそうだったのだろうか。
ちょうど伊藤詩織さんのBBCのドキュメンタリーを見た所だったが、
それを見て気がついたことがある。(是非見て欲しい。)
http://sharetube.jp/article/8418/
ドキュメンタリーの中で、こういう説明がある。
『日本では、いいか悪いか、好きか嫌いか、そう表明することが"女らしくない"と。小さい時から意見を表明するのがいいことではないと教えられて来ていると思うんですね。』
表明するのがいいことではないと教えられた記憶はないけれど、少なくとも表明せずに生きていける社会であるのは確か。学校では決めなくても、リーダーシップを持つ誰かが決めてくれる。また、曖昧なままを好む文化であるのもそうだと思う。
また、JK、JDなど若ければ若いほど価値があるとする価値観。そして痴漢や女子高生を性的対象にするような性的な考えが、日常的に浸透しているのも確か。
例えば若くなければいけないという価値観も多くの女性を苦しめているだろう。
(女の価値...と調べるとそういう類の質問が沢山ある。)
でもそれを多くの人は女だから"仕方がない"と考えていると思う。
でもこれも、差別が差別として認識されていないだけで、立派に女を貶めているものではないか。
だから、クラスでジェンダーの話になるのはとても先進的なことだし、健康的なことだと思う。日本では議論にも上がらないのだし、ドキュメンタリーにあるようにトップの政府もそれを隠そうとするという....。バカバカしいにもほどがある。そして挙げ句の果てには男の方が迷惑を被っているなんて発言をする議員もいる。(あのLGBT差別発言で物議を醸した杉田水脈議員)よくもそんなことが言えたものだ。
愚痴のようになってしまったけれど、日本の外からみると女性問題やLGBTなどの問題は本当に遅れているとわかる。
理不尽を受ける私たち自身が、ひとりひとり良くないことには声をあげないといけない時代だな と、そして今はその理不尽を変えていける時代でもあるな、とそう思う。
「Hilma af Klint: Paintings for the Future」
インスタグラムに投稿したものですが、
時々こういう展示のレビューも書いて行こうと思います。
「Hilma af Klint: Paintings for the Future」
とても見れて良かった。女性として感慨深いものがあるなあと思ったので書きます。
NYの最終日、GuggenheimのHilma af Klintの展示を見に行きました。どうしてこの展示がすごく価値のあるものか?というと、それはHilma af Klintという女性の画家がこの時代に抽象表現主義の作品を創作していた、ということの、アメリカでの初回顧展だから。
抽象表現主義の創始者といわれるカンディンスキー、マレーヴィチ、モンドリアンなどの男性が抽象絵画を描き始めたのは1910年前後だと言われている。
しかし実際には、クリントは彼らよりも早い1906年頃からなんと196もの抽象的な絵画を描いていた。
彼女は自身の没後20年は絵画を公開しないでというメモを遺したので1986年頃までそれらが公開される事はなかった。
しかし公開された1986年から30年後の今になって大規模に展示がされていることを考えると、彼女の作品が認められるのに約50年かかったことになる。(ベルリンでは2013年に展覧会がやられていたが。)
metoo運動の盛り上がりを含め、女性の社会進出がようやく表立ってきた今だからこそ、社会的な注目や意義が高いとしてこの回顧展も開催されたのだろう。
当時公開されても女性画家としてはきっと認められるはずもないと彼女は知っていたんだろうと思う。
何百もの作品を、今ではなく未来に託すということ。
彼女が想像した20年後の未来とはどんな未来だろうか。
そのストーリーはとても感慨深く、また、神秘主義、霊的なものからインスピレーションを受けて描かれた彼女の絵画にはとても感動した。
Paintings for the Futureというタイトルに、
ただの未来ではなく、何かもっと切実なものを感じる。
彼女の作品の中で、青は女性、黄色は男性を表しているという。
白鳥の絵画のテーマはは生と死。男性社会の当時、
暗闇のなかの白い白鳥は女性で、
白い光の中の黒い白鳥は男性かな、
とかそんなことを想像しながら見ていた。
#hilmaafklint